日記・コラム・つぶやき

2017年7月22日 (土)

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フォトハウス表現研究所のHP

昨日、21日、東寺の縁日、弘法さんへ行きました。

先輩の大八木さんに案内されて、撮影します。

店主のひとと知り合っている大八木さんには恐れ入ります。

ぼくなんかは、それができない、人と交われない、性格的にです。

京都シュピーゲルに入会されたところから写真とのかかわりができたみたい。

ぼくはその後輩ということになり、1976年か77年が入会年度です。

海軍の少年兵としての経験があるという大八木元治さん、86歳かな。

その元気さには勇気づけられます。

写真は、弘法さんの縁日で、撮らせてもらったなかからの一枚です。

2017年7月15日 (土)

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フォトハウス表現研究所のHP

ベートーベンの弦楽四重奏を一番から流しています。

昔、10代の頃ですね、名曲喫茶なんてよく行ったものです。

そこんところで、これに類似の旋律を、聴いていたように思えます。

写真は、鰻の蒲焼です。

これは吉野家の鰻重二枚盛のデラックスなやつです。

今年の夏は、おしげもなく鰻重の二枚盛を食べています。

ブログの記事にしているところですが、食べ物の話は無難で無害です。

政治的に自己主張で賛成反対を表示しませんからです。

それでいいのかわるいのか、自問自答することもなにかしら虚しい。

昔、転向論なんて議論したことがあったけど、まさにそういえば転向者ですかね。

2017年7月 3日 (月)

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フォトハウス表現研究所のHP

ニフティのこのブログとパソコンのワープロがうまく合わない。

変換中に止まってしまって、やり直すが、全部消えていて、いちから書き直しです。

どうして、調子が悪いのか、ウインドウ10のバージョンアップ以後です。

もう気持ちをそがれてしまって、嫌な気分になってしまいます。

いま、順調に進んでいますけど。

2017年6月27日 (火)

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フォトハウス表現研究所のHP

相性がわるいのか、漢字変換途中でストップしてしまうんです。

ここのブログでは、そこで消えてしまいます。

ひやひや、今日のここでの記事は、やりなおし二回目です。

書こうとしてることも書けないまま、今日の日記とします。

2017年6月21日 (水)

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フォトハウスのHP

書いている途中に止まって、書き直し、三度目です。

漢字変換しているときに異変がおこるのか、止まってしまいます。

ここは、途中で止まったら、最初からやり直しをしないといけないブログ。

ライブドアなんかは、保存されていて、止まっても、そこから再開できる。

夏至、雨が降っていたから、先輩大八木さんとの約束は反故になった。

東寺の縁日、こうぼうさんを取材するべく予定していたところでした。

なにもかも、うまくいかない、つまずきっぱなし、これはいけない。

稲垣氏が抗議の座り込みをしているので、記録にいかなければいけない。

なにかと予定が詰まっていて、なかなか行けない、明日、行けるかな。

ジリ貧なんて言葉あるけど、それらしい、退潮ののとき、これらしい。

写真は今宮神社のあほけんさん、アホ、賢、その重軽石です。

中川繁夫のホームページ

2017年6月16日 (金)

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中川繁夫のホームページ

ついてないと思えばついてないな、書いた記事が消えてしまったのだから。

憑きと表記すればいいのか、なにか憑き物に憑かれているのかもしれない。

そんな迷信じみたことには無頓着だったけれど、ひょっとしたら、と思うのです。

もう、終わったのかも知れないね、ここらが引き際なのかも知れないね。

少し冷静になって自分の立場というものを考えてみればいい。

人のふり見て我がふり直せ、人は鏡、反射板、自分に照り返る、と思う。

言うばっかりで、動いていかないじゃないか、そういわれればそのとうり。

虚しいのは、自分なのだから、ここから脱却しなくちゃいけない。

このままではいけないな、と反省して、しばらく謹慎処分を科します。

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2017年6月 7日 (水)

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中川繁夫のホームページ

そりゃあみんな生きているのさ、日々、生きている痕跡だよ。

ブログやフェースブックにあがる記事は、その人が生きてる呼吸だな。

ひとりでいるなんて寂しいことで、友を求め、心を通わそうとする。

ぼくなんか、それの典型なんだろな、ひとりでいられないんだから。

次は何をしようか、何かをしていないと、この世に居てられない。

負けてたまるか、そんな気持ちだけれど、これがいけないんだな。

淡々と、年相応に、生きて行かなくちゃ、いけないんだよ、と自問自答。

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2017年6月 6日 (火)

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中川繁夫のホームページ

これは、一昨日のこと、懐かしの太秦、帷子ノ辻、嵐電駅前です。

大映通り商店街の看板があるように、大映京都撮影所があった通りです。

何度か、この商店街を歩いているのに、撮影所のあとが特定できない。

訊いてみるのも奥手なので、自分で痕跡を探しているところです。

記憶の痕跡を訪ねる、というのもカメラを手にしているからです。

いや、たいがい行くところは、記憶の痕跡を訪ねる、ことばかりです。

中川繁夫の旅写真 というブログを作ったけれど、そこは記憶の痕跡ではない写真。

古希を過ぎて、写真行為というのは、記憶の痕跡を紡ぐ、くらいですかね。


2017年6月 4日 (日)

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森というか林というか木のある場所へ行きます。

近年、歳のせいか、気を感じる、という感覚になります。

たぶん、そういう事を感じているんだろうな、という感じです。

まあ、な、あの世が近づいてきて、気になっていく前哨戦かも、な。

この木のある処は、京都の北に位置する船岡山の中腹あたりです。

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2017年6月 2日 (金)

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野辺の石像がありました。

地蔵さんでしょうか、道祖神というんでしょうか。

石に彫るんですね。

信仰の対象として、庶民の心が反映している。

困ったときには、手を合わせ、災難すぎるを待つ。

それしか心を鎮める方法が見出せませんね。

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