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2017年9月

2017年9月27日 (水)

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フォトハウス表現塾のホームページ 

おはよう、ありがとう、朝からハンガリー舞曲が聴きたくて、聴いています。

これらの音の連なりで、ぼくは、言い知れぬ虚しいような、寂しいような気持になります。

どうしたことか、これらの曲には、いつも共通のイメージのようなものが浮かびます。

いえいえ、ぼくは、表現、という内容について思っているところで、表現とは。

ドボルザークという作曲家が創造した音の空間というか世界に共鳴している。

このあとスラブ舞曲というのがあります。

表現とは、どういうことをいうのであろうか、感情のレベル、共感すること。

決して論理じゃないですね、気持ちの流れ、言葉ではない、感情。

そうか、理論と感情の問題なのかも知れない、表現とは、感情の方だね。

掲載写真は、御開帳されていた地蔵院の十一面観音菩薩像です。

たまたま、おととい、御開帳の案内が門前に出ていて、お目にかかりました。

フォトハウス表現研究所のHP


2017年9月17日 (日)

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フォトハウス表現研究所のHP
フォトハウス表現塾を来月から開塾するにあたって、何をするのか、ということ。

自分に即していえることは、あらためて人を当てにしていても、できないんだなぁと。

自分のできることは、できる、自分のできないことは、できない。

そこでベーシックに写真の論なら話ができて、そこから拡散していけると思った。

写真を歴史的な流れのなかで話を展開しながら、枠組みを自分のモノにする。

写真の流れにも、オーソドックスな写真作品としての流れが真ん中にあって。

その真ん中の横に、ジャンルは写真だけど別の流れが考えられる。

たとえばデザインの領域で制作される写真、コマーシャルのレベルの写真。

そういえば金に換わりにくいひとりよがり的な写真が真ん中かぁ、って感じ。

底流に政治経済の枠があり、その枠のうえでテーマを展開するドキュメント。

歴史的には広い世界の出来事の記録から、非常に個人的な記録まで。

近年なら<記憶>というキーワード、直近なら<食>というキーワードですね。

テーマをどこに置くのか、いかに社会にとって有用か、などによって価値づける。

混沌とふくそうする現状を、束ねて整理して、これからにつながるようにしなければ。

フォトハウス表現塾の課題はおおきいなぁ、と思うところです。

2017年9月 7日 (木)

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フォトハウス表現研究所のHP

フォトハウスの歴史をひもとけば、1984年に構想発出だから、もう33年前のことです。

翌年8月には京都で一泊二日、経費8千円でワークショップを開催しました。

静原の鈴鹿さん宅を提供してもらっての開催で、1986年まで続きます。

諸藩事情があって、開催場所を転々としながら、1988年にはミーティングルーム。

それまでに写真集等三千冊の資料を集めた中川が、自宅で開いた資料室でした。

そこでは、ワークショップを開催し、資料の閲覧ができるスペースとして機能しました。

1992年には、畑祥雄氏と共同で、大阪のマンションで写真図書館を開館させました。

その後は、フォトハウスを休眠、写真図書館の館長を5年努めます。

IMIの創立(1996年)に加わり2001年までの5年間、事務局長に就任していました。

IMI事務局長を辞職したのちには、フォトハウスを復活させます。

新しい学びのプログラムで、2005年には京都写真学校をたちあげます。

それから、いま現在、フォトハウスの名を復活させ、新しい領域を開拓していきます。

このたび9月1日、フォトハウス表現研究所を創立、フォトハウス表現塾をたちあげます。

具体的には、2017年(今年)10月21日(土)、尼崎にて最初の塾が開講します。

追って、詳しいことは、書き上げていきますが、ただいま、賛同者を募っているところです。

2017年9月 3日 (日)

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フォトハウス表現研究所のHP

いまどき運動家と称される輩は、ひねりつぶされてしまいそう、瀕死の状態だと思えます。

なのに、信念を貫いて、孤立無援、演説をする男がここにいます。

いやはや、ぼくは、その行動力に、敬服します。

労働者の救済を求めて、それは戦いであって、孤立無援だけど本物です。

ぼくにとっては、いろいろと示唆してくれる信頼できる人物の、数少ない一人です。

二人だけになると、昔のことを、語りだします、1960年代の終わりごろの出来事を。

それ以来、組合結成、炊出し続行、過激ではない穏健派です。

裁判闘争を繰り返し、労働者の救済を訴えます。

虐げられた人を救済する装置として、頑張っているんだと思えます。

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