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2016年6月17日 (金)

記憶の記録-9-

120iphon1606110112

中川繁夫写真<はな>と<小説>集です

この前には太宰治の桜桃忌をキーワードに記事を書いたのですね。その後、別の書籍からコピーしてここに載せる写真をみつけて、フェースブックには写真だけを添付したところです。やっぱり、気になる、いま、2016年6月の17日ですけど、昨日には梅雨の雨、今日は降ってないけど乳白の空です。バッハのカンタータ、女性のソプラノでしょうか、高校のときに練習してたような歌いまわしの曲が、聞こえています。玉川上水といえば東京のどの辺なのか、井の頭公園があるあたりなのでしょうか、あいまいなイメージしかないんですが、写真を見ると、死体にゴザがかけてあって足、膝からしたが写っているじゃないですか。太宰なのか、たぶん、太宰の死体があがって、遠巻きに見物されている。誰が撮ったのか新聞記者さん、新聞社のカメラマン、毎日系の出版物でみつけたから、毎日新聞に載ったのだろうか。バックナンバーを探ることまではしませんが、ぼくには数日前に初めてお目にかかったわけです。悲惨、虚構の彷徨のなかの道化の華だったか、海へ投身心中して女が死んで男が生き残って病院、その男の名前は人間失格にでてくる奴、大庭葉蔵。死に損ないの男が、海ではなくて川で死す、なんて、大庭が太宰と置き換えていますけど。いや、あらためて、それらの日々の太宰の心境を思うのです。死にゆく前の心境を、です。男にとって女は聖母、ころげゆく心を支える聖母か、愛人と入水とありますが。この愛人は誰、どの程度の関係なのか、いや、光景を想像するだけで滑稽きわまりない、悲しみの極として、物言わぬ身体となる。太宰を共有するということは、死の淵を共有することで、太宰が死んだから、死ぬのをやめようと思う、その支えとしての太宰文学であるように、あらためて思う。

中川繁夫のホームページです

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