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2016年5月27日 (金)

記憶の記録-4-

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中川繁夫のホームページです

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1968年4月に大学へ入学できたのは、高校卒業してから三年が過ぎていて四年目でした。同級生はすでに四回生になっていたし高校の後輩だった人が先輩になるということが起こっていました。高校卒業して十字屋楽器店に二年間在籍し、それから一年の浪人生活を経た結果、立命館大学の文学部人文学科に入学したのです。早稲田と同志社も受けましたが不合格。高校の時もそれからも受験勉強なんてしてなかったのだから、仕方がないと思っていた。入学と同時くらいだったか秋ぐらいだったかに学校の中川会館がバリケード封鎖されるという事態に遭遇した。ぼくの心情は、かって共産党系だったのが三派の方へと傾いていて、社会主義青年同盟とかあたりの思想に近かったように思っていた。具体的な内容の差異はすっかり忘れてしまいましたが、そんなに急進過激派ではなかった。でも心情三派と言われた部類で、野次馬、取り巻きの一人にすぎなかった。クラスの闘争委員会なるものが立ち上がったと聞いたが、具体的にヘルメットをかぶったことはない。デモへの参加も、ヘルメットをかぶらないデモでしたが、一度、セクトのデモに参加して、機動隊にサンドイッチされて、暴行みたいなことされて、身をこわばらして河原町を北上したことがよみがえってきます。この年の秋から翌年二月までの一連の京都での動きには体験していきました。でも、結局、運動の主体にはならなかったことが、終わったのちに自責の気持ちとして残ったわけで、10年後の1978年には釜ヶ崎を写真取材する決断を促せたのは、この自責の気持ちでした。

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