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2014年2月12日 (水)

自分をたづねて-3-

先日、第150回芥川賞の受賞小説が載った文芸春秋を買いました。もう50年も前に買ったとき、載っていた柴田翔氏の「されどわれらが日々」、以来のような気がします。賞150回紀念として「私が感動した芥川賞ベスト3」という特集が組まれ、15人の著名人が三冊推挙しているんですが、そのうち三人が「柴田翔氏を選んでいるんです。なんだか同時代人、いまさらこんな昔のことを持ち出す気恥ずかしさもあったけれど、半世紀、生きた証を、思い出しながら記していこうと思います。ぼくの文学への興味というのは、具体的には高校二年生、1963年の秋からです。文化祭の準備で、文芸部の人たちと知る会うようになったそのときから、明確に文学に目覚めたと思えます。

そのころ、うたごえ運動だったか、集まって歌を歌う、ロシア民謡とか、フォークソングとか、新しい青年みたいなイメージで、いつのまにかその中にいたのを思い出します。それは日本共産党の系列の運動であったと思うんですが、高校生のなかにもそういう風潮があって、ぼくは高校一年のときに、新聞部に入ります。女性友だちに誘われて青少年赤十字JRCにも参加します。新聞部では、林、しょうちゃんと呼んでいた先輩がいて、かれがその運動に感銘していて、ぼくをそのなかに誘った、とはいっても外部団体へ参加することはありません。外部団体へということでいえば、JRCが日本赤十字社とつながっているから、その京都支部へは何度も行ったことが思い出されてきます。クラブには女性の先輩がいらしたり、JRCには同年の女性がいたし、他の高校、女子高校の生徒たちが集まる機会がけっこうあって、夏の笠置のキャンプには、いま思い出すと、けっこうナイーブな感性でもって、女生徒と接したと思えます。

そのなかでも、あまり美女ではなく、センスもよくない女生徒が同じクラスにいて、なにかしらこころ惹かれるようになっていきます。なんでしょうか、こころが感じる異性への気持ち、自分との相性というか、何かの特性があるんでしょうか、気になる子、といえばいいのでしょうか。帷子ノ辻でおうどんやさんを営んでいる家の女子、その子のことはそれだけしか知りませんが、いわゆる好きになってしまう、というわけです。16才、高校一年ですから、初恋みたいなもんです。成熟していくわけがないんですけど、逢引なんてことも何度かありました。寂しい気持ち、それを相殺するようにも、夜、鳴滝の駅で待ち合わせて、数十分歩いて、話をして、別れて、それから、交際できないと言われて、落ち込んだ日々、これが高校一年生、16才でした。

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