2017年11月18日 (土)

日記171118

120hana1711120017

フォトハウス表現塾のHP

数年前からJP労組の退職者の会の幹事を引き受けることになりました。

その会に写真クラブを作っていて、昨日、三年目の撮影会兼ハイキングをしました。

写真を撮る名目ですが、だれもカメラなんてぶら下げないで、伏見散策です。

伏見の歴史とかに詳しいメンバーがいて、連れ歩いて説明してくれる。

参加者は、88、87、78、76、72、71、67、男四人、女三人、前の数字は年齢です。

それぞれに省時代に、郵便局で仕事をしてきた人、仲間内、というところです。

46歳の途中で退職した自分としては、どうしてここにいるのか、との疑問符ですが。

でも、乗りかかった船というところで、侘しさをまぎらわす老人会でいいと思います。

まあ、この組織は、国全体に繋がっていて、野党の選挙集票のためにある。

その末端の末端組織が、これだというわけです。

だれもが拠って起つ場所がほしいと思っていて、それなりに加入してる。

そんなところだと思う。

2017年11月 8日 (水)

日記171108

Dsc_0468

フォトハウス表現塾のHP

学区の会で歩こう会的な研究会的な行事があって参加しました。

郷土史的な枠組み、北野天満宮を起点にここは文子天満宮。

ここにあるとは知らなかった、文子とは神のお告げを受けた女子。

菅原道真の怨念を鎮めるために神社を造って祀れ、というお告げですかね。

京都シリーズを紐解きながら、こうして歩いて説明受けるといろいろあるなぁ。

研究するにも今更、そんな時間も残されていないと思うのです。

雨の日でしたが、歩いてきて、ちょっと気持ちが落ち着きました。

2017年11月 3日 (金)

日記171103

_20171103_135555

フォトハウス表現塾のHP

今日は北へ行こうと思って、結局、宝ヶ池へ行きました。

この前から、西は広沢の池から大覚寺、東は吉田山へ行っています。

なので、今日は京都の北へ、と思って行ったところ、たまたま宝ヶ池でした。

明日は、南へ赴こうかな、どこがいいかな、連休ですからね。


2017年10月27日 (金)

DIARY171027

120kyuku1710210005
2017年10月21日という日は、記念すべき日となる日です。

というのもフォトハウス表現塾のメイン講座が開催された第一回目だからです。

とはいうものの、参加したのは、ぼくだけで、オブザーバーで杉さんがいてくれた。

第一ステージ、第二ステージ、そうして第三ステージの始まりです。

ひとが集まらないことに、ぼく自身の限界を感じるところです。

でも、堀内さん、杉さん、伊藤さん、天野さん、そのほかにも賛同者がいらっしゃる。

最初は、こんなもの、との思いと、これではいけないな、との思いが交錯します。

中身は、まだない、実績は、まだない、新しい領域が生み出せるかどうか。

第一ステージのひとが写真展をされているけれど、心理的に見にいけない。

第二ステージの写真家さんたち、ちょっと見解が違ったみたいです。

来春には、写真講座を開始する予定で、いま、カリキュラムを模索中です。

フォトハウス1984年、それから30数年が過ぎているんですね、早いですね。

枠組みが出来てきたら、中身を作っていかないといけないな。

時間が足らない、焦りもあるし、体力のこともあるし、というところです。

記録していきます、掲載写真は、当日の持ち物、年月日時刻の証しです。

フォトハウス表現塾のHP

2017年10月16日 (月)

DIARY171016

120osaka1709230010

どうしたことかここ数日雨の日が続いています。

明日はJP労組OBのハイキングとかで、万博公園に集合します。

21日(土)は午後2時から、フォトハウス表現塾第一回目です。

参加者がいないので、このままではぼくだけということになります。

28日の土曜日はフォトハウス表現塾の撮影例会を企画しています。

奈多へ赴いて、古刹巡礼でもしてみようかと思うところです。

当日午前9時半、近鉄京都駅改札前の集合して、奈良に向かいます。

大阪方面からだと、10時半ごろ近鉄奈良駅改札口に集合ですね。

カメラクラブよろしく、定例で撮影会を企画していきたいと思っています。

フォトハウス表現塾のHP

2017年10月13日 (金)

DIARY171013

120yama1710010046
フォトハウス表現塾のHP

なにが写ってるんだろうと思って画像挿入したら、水引の写真でしたね。

なにか縁起がいいんでしょうか、野草の部でしょうか、昔からある花でしょうね。

歴史とか、由来とか、いまいる自分の情緒がどこから作られてきているのかなぁ。

遺伝子に組み込まれているわけではないと思うけど、やはり経験値かなぁ。

自分という存在が、アートする現在的なテーマだと思うんです。

大きな世界への興味から、内なる自分への興味の時代だと思います。

内なる自分と外世界との境界線、インタフェースとしての表現ツールがあります。

絵画、写真、映像、音楽、文章、ぼくは五つのジャンルを並べていますけど。

このうち、写真と映像は、カメラ装置を必要とする近代的なツールです。

絵画、音楽、文章、これはかなり古くにまで遡れるツールです。

ぼくは、文章と写真、このふたつのツールを使って、自己表現をしています。

そのことで生計を立てているわけではないです。

或る意味、気楽で、自己満で、好きなように出来ている、というところですね。

でも、それだけ金を生み出すのに必死にならなくてもいい分、高等遊民(笑)。

けっこう世の中、俯瞰的に過去から未来を推測できたり、するんじゃないか。

もう、媚びることはやめにして、自己満で結構、それでいこうと思います。

2017年10月 9日 (月)

DIARY171009

120yama1710010028

フォトハウス表現塾のHP

浄土真宗の仏壇ですが、家屋の中心になるような気がします。

仏壇の前には仏間があって、仏間のまえに一部屋あります。

田舎の家ですが、玄関から仏壇までが家の中心になる作り方ですね。

建築様式など専門的な知識は全く持ち合わせていないけれど、共通点がある感じ。

日本の文化の伝統といえばいいのか、それを継承することは必要ですね。

西欧文化がこの150年間に日本国内、満たされて、集約化されてきています。

それに対して、衣食住のアイデンティティーというか、独自の文化が消されそうです。

ぼくは国粋主義者でもなければ、国家護持者でもないつもりですが。

表現する人として、文化のうちがわをどのようにして表すか、を考えます。

(続く)

2017年10月 5日 (木)

DIARY171005

120yama1710010005

フォトハウス表現塾のHP

朝からバッハのヴァイオリン曲を聴いています。

詳し事がわからない、パルテータとか、その領域というか意味がわからない。

音楽家の文字さんに聞こう、明日、雨だというので明日香行きを変更します。

京都国立博物館で国宝展が開催されているとうので、それを見に行く予定。

文字さんは中学高校とぼくより一年後輩で、吹奏楽部で一緒にいた人。

昨年から、暇を見つけて古代史の跡めぐり、展覧会見学、等々。

積もる話もいっぱいあって、音楽家でいまも現役、忙しそうにしている。

表現塾の塾を開催していく音楽系担当として、いろいろ世話になります。

ネットをやってないというので、興味もないというので、連絡が取りにくい。

いつのまにか、ネット時代になって、SNSのなかで、交信する昨今です。

脈々と流れてきた歴史的時間と今、今、今生きている世界を交差させる。

政治のほうは、新党をめぐり、今日は未だ混沌としてる感です。

フォトハウス表現塾も現在、まだまだ混迷、混沌としている感じです。

2017年9月27日 (水)

DIARY170927

120kyoto1709250022

フォトハウス表現塾のホームページ 

おはよう、ありがとう、朝からハンガリー舞曲が聴きたくて、聴いています。

これらの音の連なりで、ぼくは、言い知れぬ虚しいような、寂しいような気持になります。

どうしたことか、これらの曲には、いつも共通のイメージのようなものが浮かびます。

いえいえ、ぼくは、表現、という内容について思っているところで、表現とは。

ドボルザークという作曲家が創造した音の空間というか世界に共鳴している。

このあとスラブ舞曲というのがあります。

表現とは、どういうことをいうのであろうか、感情のレベル、共感すること。

決して論理じゃないですね、気持ちの流れ、言葉ではない、感情。

そうか、理論と感情の問題なのかも知れない、表現とは、感情の方だね。

掲載写真は、御開帳されていた地蔵院の十一面観音菩薩像です。

たまたま、おととい、御開帳の案内が門前に出ていて、お目にかかりました。

フォトハウス表現研究所のHP


2017年9月17日 (日)

DIARY170917

120yama1709120009
フォトハウス表現研究所のHP
フォトハウス表現塾を来月から開塾するにあたって、何をするのか、ということ。

自分に即していえることは、あらためて人を当てにしていても、できないんだなぁと。

自分のできることは、できる、自分のできないことは、できない。

そこでベーシックに写真の論なら話ができて、そこから拡散していけると思った。

写真を歴史的な流れのなかで話を展開しながら、枠組みを自分のモノにする。

写真の流れにも、オーソドックスな写真作品としての流れが真ん中にあって。

その真ん中の横に、ジャンルは写真だけど別の流れが考えられる。

たとえばデザインの領域で制作される写真、コマーシャルのレベルの写真。

そういえば金に換わりにくいひとりよがり的な写真が真ん中かぁ、って感じ。

底流に政治経済の枠があり、その枠のうえでテーマを展開するドキュメント。

歴史的には広い世界の出来事の記録から、非常に個人的な記録まで。

近年なら<記憶>というキーワード、直近なら<食>というキーワードですね。

テーマをどこに置くのか、いかに社会にとって有用か、などによって価値づける。

混沌とふくそうする現状を、束ねて整理して、これからにつながるようにしなければ。

フォトハウス表現塾の課題はおおきいなぁ、と思うところです。

«DIARY170907